学校長あいさつ

  ごあいさつ                                                          
                                                                          福島県立葵高等学校長 和田直也 
  
 この度、葵高等学校長として着任いたしました和田直也でございます。会津の地に根ざし、地域に守られ育まれてきた輝かしい歴史と伝統を携えている葵高校での職務に就くに当たり、私自身、あらためて身が引き締まる思いであります。これまでの歴史を通して、様々な方々に支えられ培われてきた本校ならではの校風と気概を大切にしながら、次代を担う人を育む学びの充実を目指して参りたいと存じます。

葵高校は、明治425月に会津高等女学校(後の会津女子高等学校)として創立され、以来各界で活躍する人材を多数輩出し、会津の中心校としてその役割を果たして参りました。平成14年度の男女共学化により、現在の校名に変更されましたが、「葵のように」まっすぐに大空に向かう凜とした生徒の姿は、創立以来脈々と受け継がれています。今、社会の激しい変化の中で、学校教育の在り方にも変化が求められています。本校の校章や校歌に込められた「葵のように、今をまっすぐに生きる。」という思いは、混迷の時代と言われる今だからこそ、様々な困難を乗り越えていくしなやかな力を身につけていくことの大切さを教示してくれていると感じます。

本校の学校経営・運営ビジョンに掲げるスローガンは「私の選択には、意志がある。」であります。人が生きる上で必ず向き合うことになる多様な課題に対して、自らの意志を持って、主体的に考え、判断し、行動する、そんな気概を持って生きる人の姿勢を本校が目指す教育の象徴としているのだと捉えます。様々な活動に真摯に取り組む、無限の可能性を秘めた生徒たちと共に、教職員一同、豊かな人間性と社会性を備えた人を輩出することを目指し、本校教育の新たな歴史を紡いで参りたいと存じます。
 今後とも本校の教育活動に対しまして、変わらぬ御理解と御支援を賜りますようお願い申し上げ、あいさつといたします。(令和7年41)
 

校長ブログ

【こうちょうブログ 004】心、そして、技、体

2025年5月13日 12時01分

今、福島県高等学校体育大会各種目の会津地区大会の真っ盛りとなっております。

本校体育館では、男子バレーボール競技が行われており、先ほど見学をしてきました。

そして、強く思ったのは、どんなスポーツでもそうですが、優れた選手がプレーするフォームは、やはり美しいということです。そして、この「美しさ」は、紛れもなく「強さ」と比例している。私は、しばらく、この「美しさ」とは何なのかを考えながら選手のプレーを見ておりました。

おそらくですが、身体の使い方として、筋肉の緊張と弛緩のリズミカルな動きが実に理にかなっていて、不必要な「力み」がない筋肉の弛緩、そして、その弛緩によって作られた「ため」を反動にしながら、全身の筋肉が統合され生み出される一点集中の力の炸裂、これを、まるで水が流れるように、あるいは、鞭のしなりのように繰り広げていく。このフォームができ上がったとき、それは、美しいと表現するしかないものになるのだと、一人で少々興奮気味に感じ入っておりました。

 そして、私の探究は、しつこく続くのですが…

この美しいプレーを繰り出せる選手に備わっているものとは何なのか?

勿論、日々の練習で身につけてきた技術だと思いますし、それを実現するのに十分な体力が欠かせないのだと思います。しかし、もっと根本的に欠かせないもの、それは「心の強さ」なのではないかと思うのです。「運動力学」や「スポーツ心理学」の知識など、ほとんど持ち合わせてはいない私ですが、ほぼ直感的に確信してしまいました。

「無駄な力を抜く」ということは、身体の「しなり」を使ったプレーや武道における防御の技などにおいても不可欠なことです。しかしながら、人間は、緊張や不安、あるいは、より集中しようとする時ほど身体を強ばらせ、力み、動きが堅くなってしまうことは、誰もが経験し理解していると思います。つまり、いかに技術や体力を身につけていたとしても、ここ一番の試合のような強い緊張状態の中で、いつものように身体全体をコントロール下に置き、筋肉の弛緩と緊張による流れるような動きを繰り出すことは、心の強さがなければ実現できないということは容易に想像がつきます。そして、この心の強さとはどうすれば身につくのかについては、難しい問題です。一つ思い付くのは、「万事を尽くして天命を待つ」ということわざです。つまり、「自分として可能な限りの努力はしてきたのだから、あとは焦らず結果を天に任せる」という境地です。この境地には、「やるべきことはやった」という静かな自信に裏付けられた程よい諦観と脱力があります。そういえば、元サッカー選手で、日本チームのキャプテンを長く務めた長谷部誠選手の著書で『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』という本があったのを思い出しました。何ごとも勝利をつかみ取るためには心を整えることが重要であり、心を整えるということは、日々何を習慣として生きているのかにかかっているというわけなのですね。

つまりは、人を感動させるような美しい技は、日頃の地道な習慣の積み重ねが基礎となって生み出されるものなのだ、ということに気づいたのでした。

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校長ブログ(おがっちBlog)

【おがっちBlog 100】最終号 素晴らしきかな葵高等学校

2025年3月27日 13時00分

 いよいよ、この100号をもって、

私のblogも最終号となる。

 葵高校での2年間、本当に楽しかった。

素直で真面目で、直向きに頑張ることの出来る

素晴らしい生徒、個性的集団である教職員、

学校への全面協力を惜しまない保護者の方々、

伝統の中にも新たな風を常に意識し、サポート

してくださった同窓会の皆さん、そして、

本校生徒を見守ってくださった地域の等々に

囲まれ、葵高等学校第36代校長として、

最後まで走り抜くことが出来た。

 会津の地で勤務することは初めてで、この土地

ならではの風習、考え方、コミュニケーション

等々不安だらけのスタートであったが、今、私に

関わっていただいた、全ての方々に感謝しか

ありません。そして、「縁尋機妙 多逢聖因」

まさに、この言葉を思い出さずにはいられない。

 縁尋機妙とは、良い縁がさらに良い縁を尋ねて

発展して行く様のこと。

 多逢聖因とは、いい人に交わっていると良い

結果に恵まれる。と言う意味であり、人間は

出来るだけいい機会、いい場所、いい人、

いい書物に会うことを意識しなければならない。

 このことを身をもって感じることが出来た

2年間となった。教員人生の最期の地となった

葵高校と出会うことが出来て本当によかったと

感じる。勿論、2年間の中では、いろんなことが

あった。そのひとつひとつに対応するに当たり、

常に意識したことは「コミュニケーション」で

ある。冷静に話すことで、どのように判断すれば

いいかが見えてくる。生徒、保護者、教職員が

何を伝えたいのか、何を考えているのか、

どうしてほしいのかを話せる環境作りに

尽力した。

 私の考えるリーダーシップとは、こちらから

話したり、言い聞かせたり、指導したりする

ことではなく、相手が話せる雰囲気を醸しだし、

聞いた内容から、相手を尊重し、気持ちを理解

した上で判断し、行動できることである。

 松下幸之助氏は、「人間。9割は自分でどう

にもならない運命の下に生きている。その運命

を呪ってはいけない。喜んで受け入れる。

すると、運命がよくなる」と言ったという。

 今居る場を意に沿わないと呪っていると、

ますます悪循環に陥る。与えられた環境に

不平不満を言わず、その中で精一杯努力を

重ねていくと、運命は必ず良くなっていく、

と言うことだろう。

 葵高校の校長として、本校生徒の計り知れ

ない可能性を引き出し、組織としての改善点

を修復することに集中し、実行してきた。

その中で、教職員と共に、生きている学校

の中で起こる様々な案件に向き合い、悩み、

苦しみ、笑い合った2年間を過ごすことができた

ことは、私の誇りであり、自己肯定に繋がる時間

として、記憶に残ると確信する。

 学校を取り巻く環境は、今まで以上のスピード

で変化し続ける。葵高校がその変化に柔軟に対応

し、教育の「不易流行」を忘れず「自立・自学」

を身につける生徒の育成が出来る学び舎になる

ことを、私は、葵高校に深く関わった者として、

見続けていきたい。

 そんな希望と楽しみを与えてくれた場所。

「素晴らしきかな葵高等学校」に心から敬意と

感謝を伝えたい。

 さようなら。葵高校。

 追伸

 ~blogを読んでいただいた方々へ~

 拙い文章ではありましたが、本校生徒の

日常と頑張っている姿が伝わり、さらには

教育について考えるきっかけになっていれば

幸いです。今後とも、葵高等学校をよろしく

お願いいたします。

 ありがとうございました。