【こうちょうブログ 004】心、そして、技、体
2025年5月13日 12時01分今、福島県高等学校体育大会各種目の会津地区大会の真っ盛りとなっております。
本校体育館では、男子バレーボール競技が行われており、先ほど見学をしてきました。
そして、強く思ったのは、どんなスポーツでもそうですが、優れた選手がプレーするフォームは、やはり美しいということです。そして、この「美しさ」は、紛れもなく「強さ」と比例している。私は、しばらく、この「美しさ」とは何なのかを考えながら選手のプレーを見ておりました。
おそらくですが、身体の使い方として、筋肉の緊張と弛緩のリズミカルな動きが実に理にかなっていて、不必要な「力み」がない筋肉の弛緩、そして、その弛緩によって作られた「ため」を反動にしながら、全身の筋肉が統合され生み出される一点集中の力の炸裂、これを、まるで水が流れるように、あるいは、鞭のしなりのように繰り広げていく。このフォームができ上がったとき、それは、美しいと表現するしかないものになるのだと、一人で少々興奮気味に感じ入っておりました。
そして、私の探究は、しつこく続くのですが…
この美しいプレーを繰り出せる選手に備わっているものとは何なのか?
勿論、日々の練習で身につけてきた技術だと思いますし、それを実現するのに十分な体力が欠かせないのだと思います。しかし、もっと根本的に欠かせないもの、それは「心の強さ」なのではないかと思うのです。「運動力学」や「スポーツ心理学」の知識など、ほとんど持ち合わせてはいない私ですが、ほぼ直感的に確信してしまいました。
「無駄な力を抜く」ということは、身体の「しなり」を使ったプレーや武道における防御の技などにおいても不可欠なことです。しかしながら、人間は、緊張や不安、あるいは、より集中しようとする時ほど身体を強ばらせ、力み、動きが堅くなってしまうことは、誰もが経験し理解していると思います。つまり、いかに技術や体力を身につけていたとしても、ここ一番の試合のような強い緊張状態の中で、いつものように身体全体をコントロール下に置き、筋肉の弛緩と緊張による流れるような動きを繰り出すことは、心の強さがなければ実現できないということは容易に想像がつきます。そして、この心の強さとはどうすれば身につくのかについては、難しい問題です。一つ思い付くのは、「万事を尽くして天命を待つ」ということわざです。つまり、「自分として可能な限りの努力はしてきたのだから、あとは焦らず結果を天に任せる」という境地です。この境地には、「やるべきことはやった」という静かな自信に裏付けられた程よい諦観と脱力があります。そういえば、元サッカー選手で、日本チームのキャプテンを長く務めた長谷部誠選手の著書で『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』という本があったのを思い出しました。何ごとも勝利をつかみ取るためには心を整えることが重要であり、心を整えるということは、日々何を習慣として生きているのかにかかっているというわけなのですね。
つまりは、人を感動させるような美しい技は、日頃の地道な習慣の積み重ねが基礎となって生み出されるものなのだ、ということに気づいたのでした。