校長ブログ

【おがっちBlog53】なぜ学ぶ?

 「なぜ学ぶのか?」という疑問に、誰もが一度は

向き合っているのではないだろうか?そんな中、

渋谷教育学園長の田村哲夫氏の書物に出会った。

その中の一説を紹介したい。

「模倣という言葉は、あまりいい意味では使われ

ないのですが、決められた形を学ぶことで、

そもそも学ぶという言葉は「まねぶ」からきたと

言われています。決められた公式や定型をまね

することから、学ぶことが始まったというわけ

ですね。数学で言えば決められた公式、国語で

言えば言葉の意味や定型を知る。模倣がまねぶ

ことの出発点。最初から新しいことを考えつく

などということは、誰もできないのです。

天才作曲家のモーツァルトも、若い頃には、

先輩の素晴らしい曲を繰り返し聴いてまねした

曲を残しています。模倣を繰り返す中から、

ある年にピアノ協奏曲第23番という曲を突然

つくるんですね。モーツァルトの素晴らしい曲

の数々は、創造力でつくられたものです。

英語で、

模倣をイミテーション(imitation)、

創造をクリエーション(creation)

と言います。学ぶがまねぶから来ているのは、

まねすることから始まるからなんです。

人間の能力が認知能力と非認知能力に分かれる

ということは聞いたことがありますか?

AIと言われる人工知能は、過去に人間が行った

ことを蓄積した膨大なデータを駆使して共通項を

出します。これが認知能力で、多くの人の経験を

活用し、失敗しないようなやり方を見つけ出す

ことです。ところがAIがまねをしながら積み

重ねていくやり方は、今のところ、非認知能力の

代表である創造力の壁を越えられていません。

創造まで飛躍できない。ここに大きな壁がある

んですね。(後略)」

 という。非認知能力については、また別の

機会にBlogに記すとして、「学ぶ」ことを

地道に繰り返すことで、現在のAIでは

超えられない「創造力」を身につけることが

できるということは理解できる。

 今、君たちの本校での学びが、一人一人

の創造力へ繋がっている。想像するだけで、

嬉しくなる。

 しかし、「学び」→「考え」→「判断」→

「行動」のサイクルを粘り強く継続することが、

「創造力」を身につけるスキルであることを

忘れてはいけない。

「学ぶ」ことは、人が人としてよりよく生きて

いくために、必要なことなのではないか?

 と、今回は考えさせられた。

 さて、君たちは、どう考えたかな?