【おがっちBlog34】西雲院(せいうんいん)②
鶴ヶ城天守閣の側で、あの日の出来事を
思い出す。
我々は、會津藩士の供養をしたいと思い
西雲院を訪ねた。鳥の囀りと暖かな日差しを
受け、ひっそりとした場所に佇むその墓地は、
松平容保公の石像に見守られように建墓されて
いた。
花を手向けようとした時だった。なんと
西雲院の住職 橋本周現様が、現れたのです。
会津の高校から供養に訪れたことを知り、
お忙しい中、我々の前で、供養のためのお経を
唱え、御焼香までさせていただいた。
住職は、お経の後、
「わざわざ、この場所を訪れて頂き、ありがとう
ございます。新島八重さんの故郷ですよね。」
と発せられた。その後
「この墓地は、幕末に松平容保公が京都守護職に
任ぜられ會津藩士千名と共に入京しました。
当時の京都は暗殺と強奪が日常化していました
が、會津藩士の目覚ましい活躍で治安は回復され
ていきました。しかし、藩士の中で戦病死する者
が続出したためここに墓地が整備され葬られたの
です。その後、鳥羽・伏見の戦い等で亡くなった
352霊を合祀しています。」
という話をしてくださった。
そして、新島八重さんも、よくこの場所を訪れ
供養してくれたそうだ。また、会津の方々が来れ
ば、ここに案内し一緒に記念写真を撮っていたと
いうと貴重な話をしてくださった。
お忙しい中対応してくださった住職は、最後に
我々一人一人に御守りをくださった。
この御守りは、會津墓地を約80年見守った
ミズナラの材で作成した、腕輪念珠御守りで
ある。
松平容保公が入京してから約160年。
目の前にある鶴ヶ城天守閣を想う気持ちに
新たな感情が加わった。
今回の修学旅行の目的の一つに、
「史跡や文化遺産、地域に息づく風土、
伝統産業、人々の暮らしなどを肌で感じると
ともに、あらためて日本文化の歴史や伝統に
ついて考える。」とある。
生徒たちは、この修学旅行で、何を感じ、
何を想い、いくつ未見の我を見つけ出す
ことができただろうか?
【Jアラートが鳴った場合】
国民保護ポータルサイトの記載に従って、落ち着いて行動してください。
特に登下校の際に作動した場合は、十分に安全を確認した上で行動を開始してください。